明壽埋忠・全身押型明壽埋忠

片切刃脇差し、刃長尺寸分厘
(名刀図鑑第27集に掲載)

慶長頃の人で山城の住人。
足利義昭に仕え京都西陣に住す、
後豊太閤に従い四條室町に住む、
寛永八年五月十八日年七十四歳にて逝く。

作品刀、短刀少なく、平造り脇差し切刃などあり造り込み手際よい。
見事なる彫物多く彫る。本工は彫金家であって、純粋の刀工ではないようである。













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