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■藤代義雄(故)
明治三十五年九月六日藤代福太郎長男として芝に生まれる。大正三年神田、大正四年に千代田区九段に移る、大正六年(十五歳)より父につき刀剣研磨を習うと共に、七、八年頃日本刀剣研究会(本阿弥光尊先生)に学ぶ。
押形を取ることを好み、刃文を描くこともまた巧にして大正十四、五年頃より青写真にて(のち手刷り)亜鉛判オフセットにて「おしがた」を発行す。この頃よりローラーによる、いわゆる藤代式押形を考案。大正十四年頃より「通信刀剣目録」を発行、刀剣通信販売を創案、昭和八年春「藤代月報」と改称、昭和十八年六月二一四号まで発行す。営業の傍ら蒐集せる押形を元に独自の研究による以下の著書をあらわす。
昭和6年5月 |
源清麿の銘 |
7年9月 |
刀剣便覧 |
9年3月 |
刀剣圖録 |
10年7月 |
名刀圖鑑(月刊) |
11年1月 |
江戸三作の研究 |
12年1月 |
名刀全身押形集 |
12年10月 |
日本刀工辞典:新刀編 |
13年8月 |
同 :古刀編 |
14年1月 |
刀工新撰 |
同年8月 |
新古名刀一覽 |
15年7月 |
日本刀要覧・日本刀研究の新道 |
16年6月 |
名刀圖鑑七二集
(印刷用紙不足によりこの集にて終わる) |
同年12月 |
新刀集(刃文と銘字) |
18年6月 |
新々刀集(刃文と銘字)
(用紙配給更に減少「続新刀集」「末古刀集」等ならず) |
昭和十八年八月刀剣商を廃業、刀剣鑑定に専心す、二十年八月終戦と共に米軍による刀剣没収に心を痛め十二月十日消息を絶つ。よってこの日を命日とす、行年四十三歳。
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